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小川陽一郎は「石鯛釣り師」として特に有名であるが、海、川、池、湖、あらゆるフィールドで釣りを楽しんだ。
そして、あらゆる魚種を釣りの対象とした。また、フィールドは日本国内にとどまらない。
彼は30代半ばに渡仏し、画家として約10年間をパリで過ごした。ヨーロッパで輝かしい実績を残した後、彼は4年間にわたり世界放浪の旅にでる。旅の目的の一つは地球一周の釣り歩きであった。ユーラシア大陸最北の岬ノルド・キャップでは釣らないと食べ物にありつけないという厳しい条件下での釣りであったと聞く。
北海道でのイトウ釣りには釣り場に到着するまでの道中に熊が出現するため猟師を帯同させたりする。(因みに陽一郎はメーターオーバーのイトウを仕留めているが、その時に使用したエサは生きた金魚である)。
陽一郎は毎年2月になると能登半島でブリを釣り、必ず私に送ってくれる。その時期になると離岸流が発生し巨大ブリが岸に寄ってくるそうだ。そこで深夜に浜からそのブリを狙うという。
十数キロもあるブリを浜から竿で釣るには魚を酸欠にさせる以外仕留められない。よって、一旦針掛かりさせると釣り人は魚と一緒に浜を走り回ることとなる。体力勝負である。力つきた巨大ブリが浜辺に釣り上げられる光景はまさに圧巻である。
琵琶湖ではリールを使わず真夜中に70cmもあろうかという琵琶マスを釣っている。
陽一郎が釣り上げた魚の中には日本記録と思われるものが沢山いるが、彼はそんなことには一切興味を示さない。(余談であるが、彼は釣った魚を魚拓にすることはしなかったが、上述のイトウと琵琶マスはその「美しさ」に魅了され剥製として残している。)
とにもかくにも、やることが人並み外れている。本日ここに紹介する「巨大エイのお話し」もそんな「怪物」振りを発揮した釣り人陽一郎の一コマである。
小川陽一郎は数々の離島を開拓した。
その一つ、草垣群島。とある灯台のある瀬(磯)での出来事。
日中は石鯛、夜はアラ(クエ)ねらいの瀬泊まりであった。
陽一郎とは幾度もアラ釣りに行った。鋭い動物的な感性を持ち合わせた彼は瀬の廻りにアラがいないと察知すると竿すら出さない。また、たとえ巨魚であろうと常に持ち竿で対処することを信条とした。決して竿尻をピトンで固定などしない。あくまでも技対力、力対力の勝負を望んだ。魚にも逃げるチャンスを与える。自分の釣り技を勝れば逃げるが良いといった彼独自の釣り美学を貫いた。
その日は午後に瀬上がりして、明るい内に石鯛を8尾ほど釣り、夜釣りに入った。
アラがいると、察知したのであろう陽一郎の目は輝いていた。陽一郎と私は互いの健闘を誓い瀬の表と裏に分かれて釣り座をかまえた。
二時間ほど経った頃、陽一郎が私を呼ぶ。「おーい、おーい」
なんのこっちゃと傍へ行ってみると小まい(といっても、25kg程の)アラが横たわっていた。
「そんな小まいやつ引っかけていちいち呼ぶな!」と文句を言ってやった。その後は静寂な時間が過ぎ、朝を向かえた。
あんまり静かなので様子を見に行ってみたら、直径三メートル、280kgはあろうかというエイが岩場に横たわっている。
さすがの陽一郎もふうふう言っている。
「一人で上げたん?」「あんたがいちいち呼ぶな言うけん」。
彼の両手の平の皮は剥け血がにじんでいる。尻手部分の漆が剥けた手のひらににじみ、実に痛々しかった。格闘の凄まじさがうかがい知れた。
エイは夜釣りの外道であり通常は釣り上げないのだが、彼は敢えてその巨大エイとの一対一の勝負に挑んだのだ。短時間で仕留められる相手ではなかった筈。同じ瀬にいながら格闘の気配すら私に気づかせる事も無なく、どうやって一人で釣り上げたのだろうか。
「こんな化け物を暗闇の中で一人で対処するお前も怪物じゃ」と私は心の中でつぶやいた。そして、死闘を演じた巨大エイに敬意を表しつつ二人で海に戻してやった。
迎えに来た船頭がポットに入れたコーヒーを差し入れてくれた。だが、彼の手の平は熱いコーヒーカップを持つことが出来ないほど傷ついていた。私はタオルをカップに巻き渡してやった。一息ついて船に移り帰ろうとした。
ところが、陽一郎は別の瀬に渡ってもう一度石鯛釣りをやろうと言い出す。5〜6枚釣ってやっと帰路につく。
あんな傷ついた手でよくも釣りを続けたものじゃ。あの根性には参った、参った。最敬礼!
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