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六章 のっぽの空合せ(その一) new
私の石鯛釣りの中で一つの鉄則があった。
三十枚の石鯛を物にするまでは決して全磯連にも、若松磯クにも、どこの釣クラブにも入らない。
それは釣大会に出るのが嫌だから。
私は初出場を必ず優勝で飾りたかったから、これを守り通すことは少し苦痛であったが負けることが異常なほど嫌いな私は、三十枚に達するまで釣友の胸に光る釣り大会のバッチを横目で見ながら、あと十枚、あと七枚と目的達成へ一心不乱に努力した。
三十枚へ確か、あと三枚か四枚と迫った時だった。あるバーで栗林師匠と飲んでいるときだった。
私の三十枚云々のことを知っている師匠が、
「陽ちゃん、もうすぐ若磯入りやなあ、釣大会は運が八分だからな、それになあ、釣大会にでるのに沖の島を知らんでは話にならんバイ」
「ヘエー、そうかなあ、そげん沖の島は釣大会に利用されるんかなあ。ホナ一回どうしてもいって来ないけんなあ! どしてそげん沖の島ばかり大会があるんな」
「春な、大会やるいうたらな、もう喰う所は沖の島しかねえもんな。そやけな毎年最低一回は沖の島で大会があるちゅう訳たいな、あっこばかしゃ大潮、小潮でポイントが変わるし、なかなかやり難いんバイ。貴方が嘗(な)めちらかして行きよったら、パァーのパァーバイ。ヘヘヘ‥‥」
さて、そこで栗さん連れて行ってよと言えばいいのに、そのころの私、生意気も生意気。先輩ともなれば誰でも彼でもたてつきたい。自分以外はみな敵。少々のぼせ過ぎて、やり合いたくてしょうがない。素直さなんて全然ない。
今、人に石鯛釣りを教えるとはおこがましいが、まあそれに似たようなことをしている現在、あの当時の私が目に浮かぶ。二、三回連れて行き、五、六枚も釣れると私に挑戦して来る。因果は巡る。当時の私を思い出し、腹も立たない。
さて、話を戻して、連れて行って下さいではなし、一緒に行きましょうと言える相手を一生懸命に考える。白羽の矢を立てたのが若松敬竿(山本敬己)。心密かに沖の島に引っ張り出しコテンパンにやっつけて男を上げよう。名前を上げようと考える途端に物すごく嬉しくなる。うん、こいつはいいや。あいつ大分上手いらしいがまあ首を切るには丁度いい。こりゃ手頃だ。ヨシヨシあいつだと、段々と嬉しくなる。今頃あいつは何も知らずに寝てるやろう。ヨシ明日は朝八時に叩き起こしてやろう。ヤンチャン、あら先生、いや山本さん、敬竿さんよ、大先生。煽(おだ)てて煽てて、煽て上げ、沖の島まで引っ張り出して、岩に座らせ首をチョン。
私はふと西部劇の早撃ちが、早撃ちを殺す、あのシーンを思い出す。長い、細い、赤鼻のチヂレ眉毛のクラゲのような二丁拳銃が向こうの方から歩いて来る。こちらから引き締まった、バネのような均整のとれた体、紅顔の美少年現れる。ノッポが先に抜く、バァーンと撃つ、全然当たらない。ハンサムな方がゆっくり抜いてニタッと笑って撃つ。ノッポの鼻が砕けて飛ぶ。弾が脳味噌をぶち破り、頭の裏から飛び出る。ノッポが倒れる、即死だ。完全なるノッポの負け、ハンサムの勝ち。こんなシーンが目に浮かぶ。もちろんハンサムは私。ノッポは誰だか知らなぁい?‥‥
さて、話をバーに戻し、私の師匠はバーよりもどうやら焼鳥屋の方が好きらしく、洋酒のことには全然うとい。
師匠が沖の島開拓当時よりの苦心談や手柄話を吹きまくり、行ったことのない私を盛んに口惜しがらせる。あとにも先にも栗さんが吹いたのはこのとき一度きりだ。おそらく萩の見島の敗戦のウップンばらしかな? とにかく私は、カッカ、カッカとして来る。
また悪戯心が沸き上がる。酔いはしてはいけないと、軽いジンフィズなどを飲ましていたが、先生調子に乗って、
「洋酒ちゃ酔わんもんじゃな。陽ちゃんあんたわりと弱いな、もう真っ赤じゃねえな、俺の方が大分強いな」
そこで私が、
「チーフ、ちょっとメモ紙ちょうだいよ」
そして、紙にさらさらと書いた。ノックアウトの超強烈、タンブラーに山盛りと書いてサット渡す。ウインク、パチパチ、サインは終わり。見ただけでゾーッとするようなのが目の前にサーッと出てきた。チーフ曰く、
「陽ちゃん、これじゃ旨くないよ。ほとんどアルコールが入ってないもんね、本当にこれでいいの?」
お見合いでもするように一生懸命に澄ました顔の私。
「ああ、いいよ、いいよ、あと口やからこれでいいよ。ああ、栗さん洋酒はね、悪酔いするとイケンから、これを一杯、スーッと飲んどき。こいつはアルコールがないから飲み難いよ、キューッといきない、キューッとね」
奥歯をかみしめ笑いたいのを必死で堪える。まばたきパチパチ、とってもとっても真面目な顔。正直な栗さん、まっすぐ信じてタンブラーをサーッと握った。アアアア飲んじゃった。あらやっちゃった。
「フエー、こりゃ飲み難いなあ、洋酒は飲むときゃいいが、このあと口と言う奴が好かんな。ウァー胸が熱いわい、こりゃ熱い、陽ちゃん、あんたあと口はまだ飲まんでいいの?」
「ああ、私な、私しゃ慣れとるけんね、いらんのよ、昔はねえ、あと口を飲んで稽古をしたもんよ」
「陽ちゃん、おかしいバイ、陽ちゃん、俺変な、俺変な、陽ちゃん気分が悪い、あと口もう一杯飲まんでよかろうかな」
チーフがたまげて私の方へ、いけないいけないと扇風機のように手を振る。
「いけん、いけん、あと口二杯も飲んだら胃が悪くなるよ。なあ、栗さん洋酒は難しいやろ、な、俺の方が強いやろう、俺はどげんもねえもんな」
「陽ちゃん、俺は今度から洋酒はやめるわい、どうも洋酒は好かんわい」
そりゃそうだろう、タンブラー一杯、すなわち、ダブルのノックアウトの五杯分、可哀相やら、おかしいやら。
「陽ちゃん、迷惑掛けて済まんが、小便に行きてえが、足が全然立たん。済まんな、済まんな」
さあ、人を疑うことを知らない師匠のきれいな心に、悪戯心から目が覚めて、一心不乱に開放する。オシッコに連れて行き、タクシーに乗せ、膝枕して、門司港から戸畑まで、心の中ではゴメンネゴメンネと言いながら連れて帰る。
奥さん出て来て、
「まあ、貴方どうしたの、小川さんにこんなに迷惑掛けて。あなた、貴方どうしたの、済みません、小川さん済みません」
何も知らない奥さん、一生懸命済まながる。こっちは穴があったら入りたい。心の中で奥さんゴメン、栗さんゴメンと言いながら、タクシーに乗るが早いか、運ちゃんに門司港だとまっしぐら。悪かった、悪かった。
栗さんの奥さん、どうぞこの回顧録を読まないで。読んだら私はもう貴女に会えないもんね。
朝八時。
「お早うございます。若大将おられますでしょうか」
博多生まれで物すごく上品な、敬竿さんのお母さんに、まずご挨拶。
「敬己ちゃんはまだ寝とるとよ、用事でしょう、起こしましょうね」
「夕べ遅かったんでしょう。またあとで来てもいいですけど」
と一生懸命な上品さ。近ごろは、もう何年も行くので慣れちゃって、「ヤンチャンいる」なんて言っているが、あのころは敬竿さんのお母さんに、私はどうも物が言い難く、いつも一生懸命だった。
敬竿さんが起きて来た。
「ヤアー、小川さん、いらっしゃい、上がりませんか、どうぞ上がって下さい」
「ハアー、そうですか、そうですか、それでは済みませんが、ちょっとお邪魔します」
と、すべての会話が、こんな調子で貴族的。今じゃあの人私のことをハゼ喰い猿が一つがいなんて、何かの記事に書いていたが、私も負けずに、チャン、ジャラ、メチャ、メチャに書き返す。こんな間柄になっちゃった。
あのころは付き合い始め、少し石鯛を釣って、のぼせ上がったまだ素人のうるさい奴と私のことを思っていたことだろう。だがそんなことは、おくびにも出さず、やあ小川さんとこう来るから憎いよ。だがまあいいや、こちらも首をチョンなんて、おくびにも出さずそれではお邪魔しますと、こうきたもんだ。
さて、若松敬竿も北九州は、いうに及ばず遠く関西、関東までも鳴り響いた、なうての闘士、恐らく九州五本の指に必ず入る釣士と私は思う。決して表面には出さないが、内に秘めた負けじ魂は素晴らしい。生粋の若松っ子、神田の生まれじゃないけれど、アンチャンは川筋の生まれよ、ねえ、アンチャン。
友は彼のことを釣場においてのみ、アドルフ・アイヒマンと呼ぶ。私生活においては逆さまアイヒマン、素晴らしい人情家、非常に熱い男である。彼は、ひとたび岩場に立ち、竿を握ったその瞬間よりアイヒマンとなる。彼は私のことをインディアンの生首と言う。非常に嬉しくないニックネームで呼んだもんだ。このころ私がかあちゃん貰ったので、それだけは言わなくなった。それまでは、オイー、生首なんてよく言われたものだ。また当時は石鯛戦争驀(ばく)進中。色は真っ黒、髪はチヂレ毛、いもりの黒焼きならぬ、キューピーの黒焼き、生首も仕方がなかった。今は全然違う、すごいハンサムですよ、疑うかたはどうぞご遠慮なく見に来て下さい。
さて、貴族院会議も終わり、相談もまとまる。
メンバーは六名。私が二名、敬竿さんがあと二名足そうと言うことになる。
車から船と、すべての交通は私の受け持ち。日時は五日後の日曜日と決める。土曜日夜十時、敬竿氏宅に集合。十二時鐘崎出港。翌朝六時瀬上がり完了。午後二時納竿。三時二十分、沖の島を出港。
三時二十分のその二十分というところに若松敬竿の敬竿らしきところあり。瀬の割り振りをし、御門よりノリゼまでが何分、というような調子で計算していくとその二十分が出て来る。
彼はいつもこうだ。いつごろ出発という『ころ』を決して使わない。ピシャリと何分までを計画の中に折り込む。釣行のプランを彼に立てさせたら、これまた天下一品である。
私は、沖の島は朝鮮が見えるすごい秘境のように心に描いていた。いつものことながら新しい釣り場を目指す時の準備には心が躍る。
まずは船である。受け持ってみたものの、行ったことがないのだから、勿論船を雇ったこともない。まあいいや、何とかなるわいで請け合ったものの、どうも気になるので、 「オイ、勘ちゃん、鐘崎へやってくれ」と、まずは船を捜しに鐘崎へ。
そのころ日高徳太郎なる沖の島の開拓者がおられたようですが、どうした訳か、なんぼ尋ねても沖の島行きの船が分からない。
さあ困った困った。敬竿さん、船が見付からぬとはどうしても言えない。
それでは、と困った私は、十年以上経ったんだが当時を思い出し、『地の島』の深田さん(現若磯会長・福浦さんに付いて、イガグリ坊主の中学生のころ地の島へ何度か連れて行ってもらい、それから毎年アブラメ釣りに花田君なる友達と土曜から泊まりがけでよく出かけた地の島の泊部落の組合長の深田一夫さん。深田さんには随分可愛がってもらった。風呂に入れてもらい、ご飯をよばれ、泊めてもらって弁当もらい、おまけにそれで全部ただ。もう亡くなられたが深田さんの奥さんには本当にお世話になった)を訪ねることにする。
もう忘れたろうなと思いながら、
「こんにちは、おじさん私が分かりますか」と戸口に立つ。
「ああ、分からんでどうしましょうか、よう来たねよう来たね、元気にしとったかね、大きなったね、さあ、上がんなさい」と喜ぶこと、喜ぶこと。
おじさん少しも家にいない。サイダーを買ってくる。
「ああ、もう陽ちゃん、あんたサイダーじゃいけんわな。ああ、ビールじゃ、ビールじゃビールがいい。」と言ってまた飛び出して行く。帰ってくる。ああ、今度は肴(さかな)だと、また出て行く。私は非常に嬉しかった。
超感激家の私は覚えていてくれるかなと思って来たのに、陽ちゃんと言ってくれるわ、走り回っては接待してくれるわ、暫(しばら)くは見ていたが胸が詰まって、
「おじさん、もういいよ、もういいよ、そんなにしなさんな」と言うのが、やっとだった。
座敷の上がり、欄干を天井をとながめる。ああ、俺はここで寝たな、何度も何度も寝たなあ。
少年のころの思い出が目まぐるしく速いスピードで次から次へと浮かんで来る。
『ああ、俺は本当の釣り馬鹿だなあ』と長い釣り歴を振り返り、一瞬の間の郷愁に浸る。
この時ばかりは、首のチョンも忘れてしまう。
もうあとはトントン拍子。何を頼んでも深田のおじさん、ハイ、ヨカ、ソレ、ヨカと何もかも、サザエから船まで段取りを付けてくれた。船賃も敬竿さんの予算より五千円安く見付かった。
五時間近くを地の島で過ごし、沖の島行きの船頭とも会い、人の良さそうな船頭を見て何よりも嬉しい。その人の船で鐘崎へ渡してもらう。
さあ、段取りはできた。あとはメンバーだ。ああ、日曜日が遠いなあー、明日沖の島へ行きてえや、と思いながらわが家へ。
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