小川先生からの宝物       
―童鬼語録から―

周囲の人に拒絶反応を起こさせるぐらいの作品(そのぐらいの作品を!)
ハンターになれ!(カメラマンとしてハンターのようにギリギリのチャンスを一発必中で狙え)
これがこの人にはこのように見えたのか・・・というような絵や写真を!(誰にでも見える状態はartにならない)
可能性に年齢は関係ない(何かを始めるのに年齢が障害にはならない)
楽しみの世界から苦悩の世界へいつ変わるか(苦悩するぐらい努力しなさい)

私は小川先生から何度も何度も、いろんな話を聞いた。
小川先生は会う度に、いつもいつも本当に真剣に話をしてくれた。
ほんの軽い気持ちで話しかけたことにも、当の私がビックリしてしまうぐらい
真剣にartistとしての立場からものの見方、考え方について話してくれた。
残念なことに、もう先生の話を聞くことが出来なくなってしまったが、
私の心の中には沢山の先生の言葉が、考え方が残っている。
これらは私にとって大切な大切な「小川先生からの宝物」だ。


       2003年10月 
                            
稲塚 完爾



十数年前全く見識無く、唯方角が良いと言って訪れた小川童鬼さん。
以来、竹馬の友の如く全く臆する事なく絵画、詩を語り、時には今は亡き妻共々
撮影旅行と称して絵画修業の地フランスを始め世界各地を案内してくれました。

私の写真集発刊には気楽にキャプションを付け加えてくれ、それが大きな反響を
呼びました。
何も知らぬ友人達からは「キャプションが特に素晴らしい!」と誉められ、その
都度「キャプションは絵描きさんが・・・」と何度返答した事でしょう。

キャプション創作時の迫力は筆舌に尽くせぬ程の集中力と緊張感でした。
用意した一杯のお茶を口にすることもなく次から次から・・
瞬く間に150余りのキャプションが出来上りました。

今日に至って一人写真集を開きキャプションを読みますと、短い言葉の中の鋭い
深い意味に目がくらむ程の衝撃を受けることもしばしばで、今更ながら童鬼さん
の凄さを感じます。

驚いた思い出が有ります。パリの個展に同行した時の事でした。
その折 童鬼絵画の一大収集家でもあり画商でもあるお方の自宅へ招待頂きました。
郊外の自宅・・といってもお城のような大邸宅で居間の(二百畳はあると思われ
ました)大きな壁面は童鬼さんの作品に占有されていました。

外国のお金持ちは凄いなぁと思うと同時にそんな人には解る絵なんだなぁと。
殆ど私に画業を語らなかった彼が少し恥ずかしそうに照れて、居心地が悪かった
のか行ったり来たり・・・かような姿を思い出します。

童鬼さんに関するメッセージを、と依頼を受け私はすぐさま「般若心経」のテー
プを毎日一時間半、2ヶ月聞き続けました。
童鬼さんを述べるには心経の事を明確に知りたいと思ったのです。
彼は時々「曼陀羅」を口遊(くちずさん)でいました。
この言葉は仏教で一番高い「真言乗」の事で人の能力の最上の段階の悟りで我々
知性の働きでこれを理解する事はまず不可能であろうかと思います。
現代語では、宇宙の真実の姿を自己の信念に従って立体又は平面に実現すること
と解釈されております。

かつて、絵画の大家が童鬼さんの作品を「東洋的、仏教的な唯一のシュールレア
リズム」と評したことを思い出します。
私は彼が仏教を学んだ事も聞いたこともありませんが、私の知る限り童鬼さんは
天性的に「曼陀羅」の境地を知り尽くしていた人物であったと想像出来ます。
彼の作品は此の世の煩悩、執着、こだわりを捨て、または消滅させた明るい悟り
の世界へと見る人を導いている様に感じられます。
作品の一つ壁画を眺めていますと、特にそれを感じ中央上部に燦然と金色に輝く
悟り、仏の世界を現わしているのだと絵画の知識の無い私は想像致します。

私より20歳以上も若い童鬼さんが先に逝ってしまうのなら、
もっと早くに童鬼芸術理論なるものをゆっくり伺っておくべきでした。
今となっては叶わぬ夢となりました。

最後に、
「シュールレアリスト童鬼美術館 伝言(ことづて)」を介して一人でも多くの
人が童鬼さんの作品を鑑賞され、評価が更に光輝くよう願って止みません。
速く逝った童鬼さんも期して待っているような気が致します。
                               
       2003年6月
       愛知県豊橋市在住
       医学博士 紺綬褒章受章 NHK文化センター写真教室在籍  
                            
鈴木 敏雄



「こんな独創的な絵を描ける画家が日本にいるのか!」
あの日の鮮烈な出会いは忘れない。

昭和の終わり近く小生は博物館と美術館を開館すべく準備の日々であった。
ある所で一枚の小さな絵と出会った。
画伯が静かに微笑んでいた。
小生は興奮していたのだろう。どのような挨拶が交わされたのか記憶にない。
その日から小生は画伯の描く絵、添えられる詩に魅了され続けた。

幻想的な幾種もの植物、動物達は生命力に満ち、豊かな大自然を疾走し飛び
回っていた。迷いのない洗練された線は躍動感に溢れて、色彩はこの上なく
美しい。まさに「理想郷のかげがえのない生命の煌き」であった。童鬼作品
の主人公は常に幻想の生き物達であり、勝者ではなく敗者であろう。
仏教思想、東洋の美を熟知した画伯の崇高な精神と強靱な意志がここに見ら
れる。一瞬、目を背けたくなるようなモチーフ・・・。それは 実は果てし
なく繰り返される人類の自然への反逆や欲と愚かさへの「痛烈な批判」であ
ったり、また弱肉強食社会への警鐘であった。

目を閉じ 数十秒の沈黙のあと、淀みなく放たれる言葉は
瞬く間にそのキャンバスに描かれたテーマの詩となる。
私にはもうその絵と詩の一致を知るに時間がかからなかった。
モチーフや詩はあたかも涸れることなき湧き出る泉の如く・・・。
小生には「人間業ではない」とも思えた。
と したら画伯は神が地上に送られた使者かも知れないとも思えた。
そうだ、シュールレアリスト童鬼は平和の神の使者だったのだ・・・と。
そう自分の中で理解した時、画伯の画壇並びに釣り界あるいは音楽界に遺し
た非凡なるメッセージをほんの少し理解出来たような気がしたのである。

童鬼の才能を先見したのはヨーロッパのコレクター達である。
彼らの臭覚の鋭さと財力の豊かさには驚きを隠せない。
一方、それらの財力に身を委ねる事を拒絶しつつも絵筆を持ち続けた人間
童鬼の生き様を小生は愛してやまない。

いつの日かノーベル平和賞受賞さえ可能であると思い続けた作家がこんなに
も早く逝ってしまわれるとは残念の極みである。(が、その日が来ても 彼に
は興味の無いところかも知れぬ・・・)。

同時に、かような天才画家の作品が海外の美術館やコレクターにより所蔵さ
れ、日本国内では紹介すらされて来なかった事に日々悶々としていたのであ
るが、今般「シュールレアリスト童鬼美術館 伝言(ことづて)」の開館を
知り喜びに堪えない。

地球滅亡を危惧し世界平和への想いを描き続けた童鬼の詩画集が一人でも
多くの方々に理解され人類の平和に貢献出来ることを、深く心から願う次第
であります。 合掌
                               
          2003年1月10日
          元愛実美術貨石考古博物館館長、学芸員、俳人(*)  
                            
近藤 一実

                           (*)亡き妻を通し生命の尊さと世界平和を願い、その想いを
                              三万余の俳句に詠む。近々俳壇に発表予定。


“童鬼” 美の神に仕えし 怪物
竜巻となり 独り行く
その世界、未知なる幻想の詩を奏で
妖しく 美しく 繊細

無限の大生命たる大自然に学ぶ 異能の人
その比類なき分身を 見よ!
惹きつけられ言葉 失う

美の伝道者は 桃色の種を蒔かれた
その貴重な種を授かりし幸運
大切に育てよう 花を咲かそう
恩師に報いる 自分の花を

天才“童鬼”画伯に 乾杯!


           2002年師走
            ひらた豊美